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雲仙・普賢岳の大火砕流から31年の今日

2022 10/31
コラム
2022年6月3日2022年10月31日

島田です。

今日、2022年6月3日は僕の故郷である島原市で起こった出来事から31年の年です。

雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)の大火砕流が起きたのは1991年6月3日。

今年で40歳になる僕にとっては節目の年でもあるので今思うことを書いてみました。

Contents

雲仙・普賢岳の大火砕流とは?

そもそも、雲仙・普賢岳の大火砕流って何?と言う人も多いんじゃないかと思います。

どんな出来事だったのか簡単に書いてみますね。

平成の大噴火と呼ばれたこの震災は、1990年11月から1995年まで続いた雲仙岳の噴火活動のことです。

198年ぶりの噴火であり、198年前は、1.5万人の死者を出したそうです。

38回の土石流、7回の大火砕流が起き自然の猛威を実感しました。

火砕流の総発生回数は 9,432回(H3年5月〜H8年5月)、

土石流総発生回数は62回(H3年5月〜H12年3月)

死者41名、行方不明3人、負傷者12人、建物被害2511件、被害額2299億4197万円だそうです。

僕が記憶している当時の状況

(当時の写真がないのでいつかの)

この時僕は小学3年生になったばかりで、学校内のサッカー部に入ったことです。

好きで始めたのに、あまりにも練習が面白くなくて、時々小さな火砕流などで練習がなくなることをラッキーと思っていました。

ほんと恥ずかしい。。

小学校から普賢岳はいつも見えている状況だったので、煙が出てるな〜と言う感覚でした。

黒い雨の6月3日

状況はこの動画を見たら想像がつきやすいと思います。

1991年の6月3日は今でも清明に覚えています。

小学校から16時前に下校していて、その日は雨が降っていたんですが・・・

急に雨が黒い雨に変わって傘がめっちゃ黒くなっていました。

恐怖を感じながら、そして何かいろんな音がしていたような気がしたけれど、家につきました。

その後、弟が帰ってきて、ふたりで両親と妹の帰りを待っていました。

ニュースを見た記憶があまりないんですが、両親が帰ってきてから聞いたのか、両親と一緒にニュースを見たのか・・・

その時起きた出来事を知りました。

その後、僕の友人の父が亡くなったこと、当時住んでいた団地に住んでる家族のお父さんが亡くなったこと、僕の友人の多くの家が焼けたり、流されたりで思い出の住む場所がなったことがわかりました。

僕が住んでいたところは、海に近い方だったので、直接被害はなかったんですね。

学校休止と転校

その後僕たち家族は、学校に通学できなくなったことで、おばあちゃんの家にしばらくお世話になることになりました。

6月3日からそんなに時間は経ってなかったはずです。

おばあちゃん家から近い小学校に転校し、従兄弟たちと一緒に通学することになりました。

島原の小学校の友人と会えないのは寂しかったですが、従兄弟や新しい学校でも友人ができたのでそれなりに楽しんでいたと思います。

子どもはほんと単純ですね。

夏休みなしで学校スタート

その後、島原の小学校を使うことはできなかったのですが、近くの小学校の敷地にプレハブの小学校ができ、そこで以前の学校生活が行えるようになりました。

たしか、噴火があった年の8月ぐらいです。

みんなは6月から8月まで自宅にいたようですが、僕のような仮転校していた子ども達は夏休みなしで元の学校がスタートしました。

中々つらい話ですが、島原の友人と会えることが楽しみだったので、夏休みがないことに何も感じなかったと思います。

そこからは毎日バス通学が始まり、バスに乗るのが楽しみでした、毎日ヘルメットを被ることが徹底されていたので、似合わない僕はかなり抵抗がありましたねw

当時は、元々800人ほどいた全校生徒のうち1/3は引っ越しをしていなくなっていました。

小学校3年生以来会ってない子もいるので、どうしてるのかななんて気になるこの頃です。

学校引っ越しからの元の学校へ

小学5年生ごろに、僕たちの小学校がある地域の運動広場にプレハブ校舎が移動しました。

自宅から通いやすくなったので、バス通学から徒歩になりました。

サッカーも続けていましたが、土はなくて砂利www

まぁそれでも、サッカーを仲間とできる喜びを強く感じれていたので、楽しかったです。

その後5年生か6年生だったか記憶が曖昧なんですが、元の小学校の校舎に戻りました。

やっぱり、慣れ親しんだ校舎が一番ですね。

隣の小学校は跡地へ

一方で、もう少し山側にあった隣の小学校は、被災しその後は使われなくなリました。

当時の出来事を伝えてくれる貴重な建物として今は役割を担ってくれています。

今は、こんな感じで綺麗にされています。

死者が増えた理由

平成最大の噴火で、ずっと言われてきた問題がメディアの対応です。

簡単に言うと、市が定めた避難勧告区域に勝手に入って撮影していたと言うことです。

定点と呼ばれ、報道各社は溶岩ドームの先端から約3・5キロにあり、火砕流が下る谷の真正面を撮影拠点にしていたようです。

市や県警は再三にわたって退去を求めたようですが、聞き入れなかったんですね。

それで、6月3日はまさに、この定点で撮影していたことが理由で多くの方が亡くなりました。

どう言うことかと言うと、この定点付近までの移動にタクシーを利用、そしてメディアに注意をするために、消防団員の人がその付近にいたと言うことです。

また、メディアが避難勧告地域の民家の電気を勝手に利用していたこともあり、注意を日々行っていたようです。

実際、この定点に関連し、報道関係者16人と同行のタクシー運転手4人、地元の消防団員12人、警察官2人が命を落としています。

メディアが注意を守っていたら・・・

と言うのがこの被災の中でも注目されています。

僕の友人の父もまさに消防団員でしたし、僕の住んでた団地のお父さんはタクシー運転手ですので、まさに被害者です。

改めて、大人になり何が起きていたのか振り返ると、メディアの在り方ってほんとに今の時代にも続く問題だよねって感じます。

こうやって、何かが起きないと気付けず、気付いてるのに・・・

仕事のため、お金のためと本音で動けないのってなんか、今の世の中の縮図ですよね。

僕らが学び得れたもの

嫌な思い出もたくさんあったんですけど、学び得たものや今に活かされていることもたくさんあります。

実は僕が続けていたサッカー、この小さな田舎の小学校だけのチームで全国でベスト16位に入ることができました。

当時は、ほんとにびっくりされましたし、地域に元気を与えることができたんじゃないかと思います。

僕らがなぜ、そこまでいけたのか?

それは、やっぱり当たり前に仲間と一緒に入れて、当たり前にサッカーができることが本当に嬉しかったからです。

どんなに技術や指導がうまくても、本人のやりたい、好き、うまくなりたい!その主体的なエネルギーに勝るものはありません。

僕らは被災を通して、その当たり前のありがたさに気付けて、誰から言われるからではなく、自分の主体性を伸ばすことができました。

また、仲間と過ごせる時間を大切にできて、先生や親も含めて、本当に共に生きるというか、チームというものが勝手にできていたんだと思います。

さらには、どれだけ辛いことやきついことがあっても、捉え方や行動次第でどうにでも未来は変えれる!そう実感することができました。

コーチングや脳科学、心理学、量子力学、真理を学んでいく中でも、それを感じましたが、知識として学ぶ前に、経験として心と身体に染み込んでいけてたんだなと思いました。

原体験をどう活かすか?コーチングでもとても重要なキーワードですが、あなたにもきっかけとなる出来事は必ずあるはずです。

全ては自分次第

今回、当時を振り返るにあたって色々と調べてみましたが、やはり当時の生身のデータはあまり残っていませんでした。

今なら、その時のリアルな写真や感じたことを多くの人が発信できる時代です。

そして、全国のあらゆる人とSNSを通じてつながることができるようになりました。

僕が、人生経験や今のコーチング・心理教育、LIFEプロデュースの活動をしてく中で、最も重要なものはあなた次第だってことです。

あなたがどうしたいかで、動ける時代、変えられる時代です。

環境が人を変えるなら、環境を自分で整えることができます。

あなたが学びたいことがあるなら、オンラインで学ぶことができます。

人生の選択を考えたいなら、コーチングを受け、自分の本心や本当の向かいたいゴールを設定できます。

自分らしい仕事をしたいなら、副業を明日からでもスタートできます。

 

あなたの人生を本にするなら、最後の1ページにどんなメッセージを書き込みたいですか?

そのメッセージを作るのは、今日からのあなたの選択です。

過去を活かし、未来を創造し、今を生きましょう。

島原に来てね

島原半島は、旅行にもめちゃ最適です。

この動画を見てぜひ行ってみてください^^

では。

コラム
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